自分の価値と外の様子は関係ない!努力ってどこでどう頑張れば良いの?【才能のありか】

Reico

近道を探していた

昔は、努力みたいなものってあんまり好きじゃありませんでした。

もちろんするしか無いので、するんですけど

出来るだけ早く終わらせたい。

なので

最速最短で!

なんて感じ。

しかもスマートに、とかね。

喜びは逆のところにあった

 
でも今は、違いまして、変わりまして。

努力って最高に面白いことなんだって思っています。

昨日と今日の自分の違いが面白い。

鍛練することが、楽しくてたまらないって感じです。

だから、「今この時よ、少しでもゆっくり過ぎてくれ!」なんて感じたりもする。

失敗は美味しい

 
それとほぼ同時だったかで

失敗を見せることとか

明らかにかっこ悪い様子を見せることも平気になりました。

「明らかにかっこ悪いこと」の定義が

外から見たらかっこ悪って思うんだろうなぁっていうのは理解しつつも

本当のところは、それをかっこ悪いと思えなくなった。

なんだったら場合によっては、ちょっと美味しい!ぐらいに。

だから平気の部類になっている。

本音の本音

 
…今ちょっとカッコつけてブログ書いてるので(←かっこつけてたんかい)

カッコ悪いとこ見せたくない部分も、もしかしたら…まだ見つかるかもしれません。
 
でもホント、昔に比べたらめちゃくちゃ変化しました。

自分の価値と外の様子は関係ない

 
外側の事象と自分の価値を、紐付けしなくなった。

これに尽きます。

あれ? 私の価値と何にも関係なかったじゃ無いか!って。

自分にとってのベストタイミング

 
そうなってくると

「やらなきゃならないこと」がサーっと消えていく。

このかっこ悪いところを隠すための労力も気疲れも存在できなくなる。

「あの人みたいにもっと目立たないと」とか

「みんなに追いつく為にあれもこれもしないと」とか

そうやっていると、本当に興味のあることとは別のところに意識を持っていかれますよね。

当然自分らしさを最大限に発揮できる場所も見極められないし

ペースも崩しかねない。

でも、そもそも比べる必要ってあったっけ?

なんですよね。

「はぁ…自分はなんてダメなんだ…」と自己否定する必要ってどこにあったの?と。

そもそも何を求めていたんだっけ?

 
そうなんですよね、幸せでいたかっただけなんですよ。

安心感をベースに

冒険をして

「ワォ!自分にはこんなことも出来るのか!」

そんな風に自分の素晴らしさを味わいたかった。

あなたという「愛」を分かち合おう

 
そうやって自分の素晴らしさを知るようになると

じゃあ「この素晴らしい自分という存在」が

人の役に立ったら最高だよね、みんな幸せだよね、にたどり着く。

自分も自分であることが楽しい。

そんな自分をみんなも楽しんでくれる。

こんな幸せを誰もが求めている。

素の姿をどれだけ出せるかが大事

 
自分の道を極めていくことで気付いたことは

努力して凄い存在になるのではなく

どれだけ本当の姿を表現できるのか

自分でも出し切れていなかった正体を

真の姿をいかに表に出していけるのか。

ここが大事で、そこに向けて努力するのが何より重要だった。

才能を手に入れる為に努力するのではなく

手に入れたい才能は内側にあって

出し切っていなかったので、出す。

ただそれだけだった。

正体を現そう

 
自分の正体を案外分かっていない人は多いです。

勝手に「自分なんて特別な才能ないもんな…」って思い込んでいる。

だから別の人間になろうとしちゃう。

ボタンのかけ違いが起きちゃう。

自分こそ最高のコンテンツ

 
今日から、自分を知ることに集中してみませんか?

自分という最高のコンテンツを解き明かしていけばいくほどに

面白さは増していきます。

そして、それにより味わえる幸せは

想像以上であることを約束します。