相手を敵認定してしまう時|過去の自分を抱きしめに行くよ【アンサー】
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に届きましたご質問へのアンサー参ります!※全てのご質問にお答えできず申し訳ありません。
ピックアップさせていただく基準に他意はなく、これまでにいただいたご質問やメッセージやメールは100%笑顔で拝読しております(一つたりとも不快になったメッセージはありませんでした。「あの書き方が良くなかったから取り上げられなかったのだろうか…?」といったご不安は無用です^^)
おはようございます。
先日はリーディングありがとうございました!
人間関係について追加で質問させていただきます🙇♀️相手の敵意のようなものを感じない時にはリラックスできそうなんですが、複数人でいて明らかに自分にだけ塩対応で他の人にはたくさん話しかけていたり、嫌味かな?と思うようなことを言われたりした時、どんなに気のせいだと思いこもうとしても、心臓がキュッとなりその人に自然に振る舞うことができなくります。
その時点で自分も相手を敵のように認識してしまうので、さらにうまくいかなくなります。
こういうことはお互いのことをよく知らない人と起こることが多いです。関係性が浅い人とのことなんて気にする必要がないと思いつつも、嫌な気持ちを何日も引きずってそのことばかり考えてしまいます。
ポジティブに捉えようとしても、上塗りでごまかしているような感覚で心からそう思うことができません。この思考癖を治すにはどうしたら良いでしょうか?
距離を置くまでもないような、もう会わないであろう人でも引きずってしまうマイナス思考を変えたいです。
A1.
ご質問いただきありがとうございます!
お気持ちめちゃくちゃ分かります。
僭越ながら回答させていただきますね。
みんな自分だよ
これは「全員自分」
という認識をポケットに入れているかどうかで、大分感じ方が違ってくるんじゃないかなと思います。
まずは私の体験談から
Photo by National Cancer Institute on Unsplash
いつぞやだったか
親族の付き添いで総合病院にお世話になった時の話から始めてみますね。
夕方過ぎに親族の体調が悪くなった為、通常受付は終了していたので救急外来に行きました。
緊急だったので専門医が必ずいる訳ではないなか色々と丁寧な診察と対応をしていただきました。
そして「恐らく緊急性はないとは思いますが、専門医からの判断ももらったほうがいいので明日エコー検査と診察の予約を取っておきます。エコー検査結果を元に専門医に診察してもらえますので。」と説明を受けました。
翌日病院へ行くと、エコー検査の予約はされていましたが専門医の診察予約がされていないことが発覚しました。
エコーが終わった時点で「今日はこれで終了です」と科の受付の方に伝えられ「え?」となりました。
診断が重要なはずなので
「これで終わりなんですか。あれれ??」と、頭の上にはてなマークを山ほど浮かべてしまいました。
すると受付の方の第一反応が
「緊急外来の先生がエコーの予約しか入れず、診察の分は入れ忘れたのかもしれません。
でも受付の私はこれについての権限も責任もないので…(対応は出来かねます…)」と言う、ちょっと冷たいものでした。
まさに塩対応。
受付の方との出会い
Photo by Martha Dominguez de Gouveia on Unsplash
おっと そう来たか。
受付の方は一見すると塩対応でしたが、内心は焦っておられるのが読み取れました。
そして私は、この方が自分自身である事も知っています。
逆の立場だったら私も焦るだろうな…と、思いを巡らせました。
先生が検査と診察両方の予約をしていれば良かったのに、出来ていなかった皺寄せが受付に来るだけでなく、憤りをぶつけてくるかもしれない目の前の付き添い人を牽制するには「私には何の力も責任もないムーブで乗り切りたい」と思うのも理解できる…。
過去の自分を救いに来た
と同時に、
夕食の出来が悪かった日の事が脳裏に浮かびました。
一口食べた後の家族の薄い反応。
自分でも美味しくないと感じたあの日。
頑張った分、気持ちがどんよりしたものです。
いやこれは私のせいじゃない。
レシピが悪い。
材料が悪い。
この味を理解できないみんなが悪い。
そもそも最初から完璧な妻なんかじゃない、泣。
心の中で大袈裟に傷ついていました。
でも誰も私の事を責めてなんていませんでした。
自分で自分をあっという間に罪人にして、罰して
その罪の深さに耐えられず
罪を自分以外に投げつけようとした。
(やれやれ…)
でもそれは怖かったからでした。
役立たずの自分がバレてしまう。
自分には価値がない。
きっとみんなガッカリする。
自分も自分にガッカリだ。
悲しい。
悲しいよぉ。
全部の自分を統合する
Photo by Everton Vila on Unsplash
私はハッとしました。
そうか!この受付の人は、あの日の自分だ。
分かる、分かるよ。
受付の方の気持ちも、過去のあの日の自分の気持ちも。
なるほど、これはチャンスか!
今こうして時空を超えてあの日の自分と出会えた。
自分である彼女を抱きしめて統合するチャンスだ。
全ての時空の自分を肯定し、愛することが出来るかけがえの無い時間なのだ。
(やるやないかい宇宙)
意識が全て
もう大丈夫だよ。あなたは私だよ、味方だよ。
受付の方に対して
心の底からそう思いました。
この状況を「良くない事が起きた」として見るのをやめました。
すると、その方が意を決したように動き出しました。
「私の方でちょっと調整と相談をしてみます!そちらのソファでお待ちください。」
テキパキとパソコンを操作したり電話をかけ始めました。
私を迎えに来たよ
ソファに座って待っている間も私の心は優しさで満ちていました。
何とも言えない幸せを味わっていました。
この後どのような展開になろうとも全部を受け止めよう。
この方の対応がどのようなものでも笑顔で迎えよう。
気持ちが分かるから。
この方に安心して欲しいから。
私たちに隔たりなどないのだから。
互いに自分らしく振る舞えば良いだけなのだから。
安心感が肝
数分後、無事に診察の枠を取っていただきました。
私は余計な事は言わず「ご丁寧に対応してくださり ありがとうございました」と愛いっぱいに伝えました。
すると受付の方がこれまで見せていなかった素の態度で
「とんでもないです!こちらこそ大変失礼いたしました。申し訳ありませんでした。」と謝ってくださったのです。
こういう何かしらの行き違いが起きた時には、どちらかともなく「申し訳ありません…」を枕詞に話を進めがちだと思います。
相手を思いやっていたり
企業を代表しての立場であったり
誰の事も悪役にしないよう場を和らげる為であったりで。
ですが、この方が『意を決する』前は不自然なほど謝罪系ワードを避ける言い回しをされていたんです。
実際に受付の方のせいでもないですし、別に誰にも謝罪を求めてもいなかった(診察さえしていただければOKだった)ので、そこは全然構わなかったのですが、コミュニケーションとしての不自然さは目立っていたんです。
「ごめんなさい」は自責の念が強すぎたり、深刻過ぎると口に出せないケースがあります。
受付の方も『少しでも謝ってしまうと心が壊れてしまう』ような真面目な方で、これまでにも自分のせいではないのに謝った事により責任を押し付けられたり、追い詰められて嫌な思いをされた事もあったのだろうな…と、そんな事も感じられました。
なのでコミュニケーションがスムーズになったという事は、どうやら安心されたのかな。
心に余裕が出来て気軽に謝罪ワードを用いることが出来たのかなと嬉しくなりました。
私も「とんでもないです!ありがとうございました。」とお伝えして去りました。
ここから本題:塩対応
そもそも何故、受付の方の第一反応が塩対応だったのか。
診察予約がされていないと判明した瞬間、私の方で
「じゃあどうすれば良いんだ?」
「昨日は“予約取りました”と言っていたのに?何かの間違いでは?」
という不安が湧き、その不安は目の前の、唯一頼りに出来る受付の方へ向かったからだと思います。
私の意識領域での咄嗟の判断では
病院は味方ではなく、うっすらとした敵に位置した。
積極的な敵意ではないですが、自分に味方してくれていないようなシーンでは不信感なり警戒心が湧きます。
その程度であっても味方ゾーンではなく敵ゾーンに意識は位置しがちです。
敵ゾーンから向けられた思いは誰だって怖いですよね。
自分が何かをした訳でもないのに「どう解決すれば良いの?」と、受付の方も不安がよぎったと思います。
防御態勢(塩対応)に入るのも十分理解できますよね。
解釈は無限
ここで「何を言うか、それが受付の仕事じゃないか」と、敵ゾーンにとどまって文句を言うのも自由だと思います。
ですが私は「この方は自分だ」という姿勢に立ち返り、そこから次の一手を出そうと決めました。
この世には自分しかいないから。
自分の世界観しか体験できないから。
なので自分流(相手は自分自身。罪と罰の話じゃない前提)に意識を整えたことにより、状況を穏やかなものにする事が出来たのだと思います。
私が安心していれば
相手の方も安心しやすいですよね。
安心出来れば、誰であっても本来の優しい姿を現しますよね。
相手じゃなく自分が先
こういった困った事態に陥ると
このひどい状況は相手が作った!
相手が始めた!
悪は向こうだ!と思いがちです。
自分は被害者で相手が加害者である、と。
状況の表面だけで観察したら、そう解釈することが可能な事象っていっぱいあると思います。
ですが実際は違います。
全ての、ありとあらゆる全ての経験は自分が先に意識の発信をしていて、そのはね返りを体験しています。
前述の受付の方の最初の冷たい対応は
私が先に不安を抱き、一瞬でも相手を敵認定した結果でした。
「この状況を解決するのは私ではなく、原因を作ったあなた方だ!」という認識で立っていたからです。
仲間じゃなくて、敵扱いしていた構図です。
だから、そのシナリオにあったキャラクターを演じ返してくれていたんです。
本当にそれだけの話なのです。
私たちを繋ぐもの
誰も敵役などやりたくもないのにやってくれたんです。
なぜこんな事をしてくれるのか?
なぜなら、私たちは愛で繋がっているから。
愛しているから。
愛されているから。
ビッグスケールの愛だよ
こんな風にして全ての人が各シナリオに合わせてキャラクターを請け負いあっている。
これが愛の一側面です。
自分が望む通りの、想像する通りの役柄を誰かが演じてくれる。
そうやって自分の人生に様々な形で登場してくれている。
すごいことですよね!
全ての存在があなたを愛し
また あなたも全ての存在を愛しているから、これが可能なんです。
これがビッグスケールの愛の姿なんです。
鏡の向こう側も自分
実際想像してみて欲しいのですが
他人から敵としてみなされたら皆さんはどんな気分がするでしょうか?
計画通り(ニヤリ
当人の世界観の中に「出会った人に対して一旦警戒しておこう」設定があれば、その期待通りの物語が進行しがちです。
あからさまな態度に出していなくても
表面的には取り繕っていても
私たちはエネルギーで繋がっているのでそうなります。
有機的に電子的に。
それだけなんです。
つまり、シナリオ通りに塩対応してくれているだけ。
誰も悪人じゃないんです。
当然誰も被害者でもありません。
ましてや本来は塩対応されるべき人でもありません。
愛し愛されている存在です。
100%間違いなく。
可愛い子猫ちゃんさ
Photo by Manja Vitolic on Unsplash
過去に人付き合いで傷付いた経験があったり
自分にとって大切な存在が傷付けられた経験があると
程度の差こそあれ人に対して警戒する事はありますよね。
意識的にも、無意識的にも。
「この人は私を傷つけるだろうか?」
「この人は自分の大切な人を傷付けるだろうか?」と。
でもその姿を側から見てみてください。
なんということでしょう!
可愛いらしい子猫ちゃんでしかないのです。
素直に愛されチャイナ
バブちゃん可愛い
私達は、どのような物語を想像しても構わない。
どのような体験をしても良いと許されている無邪気な子供です。
赤ちゃんです。
バブちゃんなんです。
そんなバブちゃん達が自分なりの世界観を一生懸命生きて、自分でシナリオを作っていることも忘れて、それに翻弄されながらも、徐々に「え?人生って自作自演なの?」と目覚めていくのを今やっているんです。
犬が自分の尻尾を追いかけ続けてグルグル回っていたようなもので、
今ようやく「なんや自分の尻尾だったんかいっ」になっていくフェーズです。
だからまずは自分の内なる世界観、そのシナリオがどのようなものなのかを認識する。
そして、すっかり飽き飽きしていたのなら手放す。
それの繰り返しです。
そうやってどんどん自分好みの人生を創造していけるようになり、「人生とはなんとユニークで素晴らしいものなのでしょうか!」の割合がどんどん増えていく。
伝わりますように
流石に長過ぎですよね、ということで唐突に締めに入らせていただきますが。
今回も言葉足らずであったり
逆に文章多すぎてワケワカメなところもあるかと思うのですが、愛を込めて書かせていただきました(押し付けがま…
何かしらの何かになっていれば幸いです。
改めまして、ご質問いただきありがとうございました。
どうぞどうぞ、この喜びの百万倍の喜びが訪れますように♡