私の世界観としての原型の一つ「人里が怖い」
私の内側にはいくつかの原型があります。
心の世界観としてのテンプレ的なものです。
その中の一つがYouTube動画の制作に関わっていて、なので制作スピードをやや左右しています。
人里が怖い
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その原型の一つとは
『自分は森の奥にひっそり住んでいて、人里から訪れる相談者に対して真実を伝えている。』というもの。
『わざわざ人気のない所にまで訪れてくれる人達には誠心誠意向き合いたい。だけど自分が人里へ行くのは怖い。
縁あって訪れてくれる人は優しい人達だし、当然精神的なことに興味がある方達だからメッセージを受け入れてもらえると感じられるけれど…。
でもそれ以外の里の人達はきっと私のことを気持ち悪い奴、怖い奴だと思うだろう。』
あいつ人の心が視えるんだって。近づくのはやめておこう。
動物や石のエネルギーが分かるらしいよ。植物が意識を持ってるだって?異常者なんだろ。
あの者の能力を利用できないだろうか。
何とかしてこちら側に取り込みたい。
残像を超える
私の隠居癖を支えてもいる上記の原型。
年々この思いは軽くなっているような気もしますし。
逆に隠居を阻害するものが減っているような気もします。
そんな塩梅ではあるのですが、YouTubeって私にとっては人里なんですよね。
だから「本当の自分」を多くの人の目に晒す場に出そうとするのはやっぱり疲弊します。
でも、伝えたい。
知っている事を自分だけで留めるのはもったいない。必要な人に届けたい。人と分かち合って一緒にワクワクしたい。そっちの思いも強いので「伝えたい」「人里怖い」を行きつ戻りつしながら進めています。
今回お話しした世界観原型には「目を輝かせて話を聞いてくれる無邪気な人達」もいて。
心を温めてくれる人達。
生まれてきて良かったんだと思わせてくれる美しい人達がいて。その人達がまた色んな人を紹介してくれたりして。人里に対する恐怖心が解かれていく、その範囲が徐々に大きくなっていく…そのようなシーンが含まれてもいるのです。