未来ビジョンの一つ|画面のこちら側と向こう側で別れる
境目
数年前から視ていたのは
「画面のこちら側と向こう側」というビジョンです。
画面に映っている世界の様子と、それを画面越しに見ている側では違う時間軸で世の中が動いている…。
まるでそのようなものでした。
「これは同じ世界で起きている事なのか?」と思うような。
視界がひらける側
生活はこれまで通り、あるいはどんどん良くなっていく人達。
それが画面を見ている側で、視界がひらける人々の世界です。
人間関係の悩みからは徐々に、あるいは劇的に解放され
経済的にも安定したまま、あるいは劇的に改善され
やりたい事がスムーズに出来るようになっている。
「あぁ、これこそが私だ」と思える日々が約束されている人達。
自分の意識が、人生や世界に影響を与えている事を自覚する人達が多くいる印象でした。
視界が狭まる側回避法
上記とは逆の『画面の中/視界が狭まる側』にいる人が体験することは様々ですが…非常に物理的な現実の渦中にいる感じ。
(明言し過ぎると誘いになる場合もあるので此処では省略)
そちら側に入らない為には、自分に正直になることが重要。
ハートの声を押し殺さず、どんな小さな夢でも良いから叶えるよう生きていく。
「私なんて」と呟くのをやめる。
それは、どこかの親が子供に対し「あなたなんて大した事ない存在だ」と道端で言っている場面に出くわしてはじめて分かるような、非常に恐ろしいやり取りだと自覚しないといけない。
自分自身にそんな事を言うのは狂気じみているのだと思い直す。
そして私たちが体験している事は自分で用意しているんだと気付く事で、画面の中から出られる可能性が一気に高まる。
自覚した上でハートの声と一致していない世界観に対し「この世界観/台本にはもう興味がない」と立ち去れたら画面の外に出られる。
思いが強まる
思想が分離的であったり被害者意識から抜け出せない人は、その思いが現実に早く反映されるので、より抜け出せにくくなる。
物事を中立的かつ前向きに解釈できるようになった人は、その思いが早く現実に反映されるので、宇宙との繋がりを取り戻していく。
それぞれどちらであっても現実化が強まるので混在する事が難しくなっていく。
だから、どちらに行くのか選択しないといけなくなる。
その選択は「どのように生きるか」で伝える。
そう考えている、ではなく実際にそう生きているかどうか。
どう生きるのか。
どう振る舞うのか。
生き様そのものが選択になっている。
そういう感じです。
#予言























