ニューイヤーイブの様子を読み返し驚愕!そのまんまの体験だった|0636
(2020春分の日の出来事)
こちらは昨年の2019-20ニューイヤーイブヒーリングの集合メッセージへの感想です。今年2020-21ニューイヤーイブヒーリングにも続いているような体験をしたので、そのご報告です。
それは母の一回忌を迎えるにあたり、お墓参りに行くことから始まりました。
お墓は生まれ育った家の近くでしたが、引越して遠くなりバス➡電車➡レンタサイクルが常でした。でも今回なぜか「自転車で行ってみようかな」そして道中にある母校の近くにあり、一度だけ行ったことがある山の上の小さな寂れた神社が突然浮かんできたのです。
思い起こせば6年前、reicoさんのニューイヤーイブヒーリング、そして対面セッションをお願いした年から、なぜか?ちょくちょくその神社と周辺の風景を思い出すように。
自宅からお墓まではかなりの距離で、自転車にして片道およそ2時間弱。ママチャリに花やら手桶やら積んで大荷物、やめようか葛藤しつつ、ダメだったら帰ればいいし!と腹を決め何とか決行。お墓参り後は生まれ育った家と町、通った小・中学校まで回れましたが、あえなく時間切れに。
クタクタになりましたが、束の間日常を忘れて思い出にどっぷり浸りながら幼い頃の自分に還りました。
何十年かぶりの、激しい筋肉痛に苦しみ鍼の先生に半ば呆れられつつも、限界に挑戦した達成感もありました。
そして法事も無事終わり、筋肉痛も失せ数日後の春分の日、なぜかまた、行き残した例の神社が頭に何度も浮かびます。
二十四節気の日には意図的に、エネルギーのいい場所に行くとか縁起を担ぐ何かしらをやっていますが、今回ばかりはなぜその辺鄙な、地元の人しか行かない無人の小社の映像が浮かぶのか全くもって謎です。
しかも一度きりの記憶の中では、山の上の社まで急な、手すりなしの古い朽ち果てた無数の石段を、落ちたら死ぬ、、とガクブルしながら登った、、しかも辿り着いたものの当時中学生の私は畏怖のあまりお詣りできず逃げ帰ったことも思い出しました(滝汗)
おまけに神社の名も神様もろくに覚えていない始末。でも、前回のお墓参りのお陰で、移動に妙に自信がつき(この時初めて前回は体力と時間把握のための練習で、アクセスの悪い彼の地には自転車が最適だったと気がつく)、2018-19のニューイヤーイブに頂いた個人メッセージ「リマインダーを宇宙に任せる」が絶大な励ましになり、雑事を全部片付けてエイヤッと出発しました。
肝心の神社に辿り着いた時は夕方でした。
神社は古いけれど記憶の中よりずっと清浄で、地元の方に大事にされているのがわかりました。
そして記憶に違わず山の上で続く階段は急傾斜、、ですが昔と違い手すりがついていたので安心して登れました(よかった~!)!
まだ明るい春の陽射しの中でしたが、神社は不思議なことに、麓からだとさらに白い帯のような光に包まれているかのように見えます。
拒まれてはいないみたい、、と予感のようなものを抱きながら、転げ落ちないように一段ずつ踏み締めながら上っていきました。
息を切らして辿り着くと古い小さな木の社だけが素朴な佇まいでぽつんと。
そして振り返り、足元よりずっと先の彼方を見たとき、驚きのあまり息を呑みました。
それは、生まれ育った家で幼い頃からずっと見ていた光景だったのです。
胸の辺りが、明るくときめくような感覚と一緒に開いていくのがわかりました。同時に、それまでその部分(ハートチャクラ)が固く閉じていたのも初めてわかりました。
この神社の神様も小山の名も知りません。
思い出そうとしたその時、声にならない声、大きな波動のようなエネルギーが、頭の上と足もと(地面)から、そして胸から鳩尾のあたりへと三方向から、突然やって来たのです。
足もとからは沸き上がるような、そして胸と腹部にはドスンとぶつかって励ましてくれるような波動が、代わる代わるメッセージを伝えてくれました。
「好きなことをしなさい」
「やりたいことをやりなさい」
そして頭の上からは、背後から抱き締めてくれるような、大きなゆったりした波動に包まれました。
「おかえり」
故郷を離れた年月の方が長くなり、実家を移転してからはこの地から遠ざかっていました。
でも忘れたことはなく、遠い呼び声のように生まれ育った風景、そしてその中に佇む自分の姿が、時折脳裏のスクリーンに流れていました。
この感覚は2016-17のニューイヤーイブヒーリング「レムリアの記憶」後の初夢に出てきた尾山台の神社にお参りに行き、味わった感覚と深くつながっていました。
郷愁や憧憬、というには、あまりに壮大で、遥か昔からの時空を超えた感覚です。
これは、この気持ちは何だろう?
幼い頃からずっと、味わってきたこの感覚は、どこからやってくるのか、いつかわかるだろうか?と思いながら大人になってしまったけど、未だに答えは出ないまま。
やってきたメッセージはどれも私にとって意外なもので、自分の総てを、目に見えないとても大きな存在によって受け入れられた、同時に赦されたような気持ちになり、どっと涙があふれました。
実家から見ていた景色は、年月が経つにつれ少しずつ、悲しい変化を伴っていきました。
周りに高い建物が増え視界が狭まり、遊び場だった鋳物工場の煙突も壊され、親しみ深い山は採石でどんどん削られていく。何より景色を見ていた大好きな母の小部屋が、きょうだいに占拠され入れなくなってしまったこと。
でもずっとあったのです。自分の源(みなもと)は。何一つ変わらずに。
お気に入りの足踏みミシンによじ登って腰掛け、この光景を眺めながら、母のお嫁入り道具の本やお気に入りの雑誌を読み耽り、いつかこの本に出てくる素敵な生活・美しい世界が似合う大人になるんだと、胸をときめかせ、まだ知らない未来に思いを馳せながら母の帰りを待っていた、幼い頃の記憶が蘇りました。
物心ついて最初に決めた人生の目標は、精神・物質両面で自活自立した大人になること。そのためには、いつも見ているあの山を越えた世界に行くことが必然だと、どこかでわかっていたのです。
ここで受け取ったメッセージは、これまでの生き方だけでなく、これからの自分の在り方をも肯定してくれるものだとわかり、また号泣。
大泣きしてまた帰路につき改めてreicoさんが公開して下さったニューイヤーイブの様子の場面を読み返し、驚愕。。
私が体験した出来事は、「レインボークリスタル」のパートと重なる、、いや、そのまんまの体験だった!
Reicoさんが分けて公開して下さっていた記事のうち、「ピンクカルサイト」の部分に同調する余り、そこに留まっていたのです(私多分、この「しっとりさんグループ」だよね、いや、最初の感動さん組かな、とか)。
慣れない実家での生活に悪戦苦闘しながら、挫けそうになると、この日のことを思い出します。
明るい春の夕暮れの光の中、眼下に広がる風景は慣れ親しんだ懐かしさと同時に、遠い日の記憶を呼び起こしてくれました。
これから始まる人生に恋をしていた幼い私と現在の私が重なり、「尊い」とさえ初めて素直に思え、感謝の気持ちが湧いてきます。
もう見ることはできない、そう思っていた景色に再び巡りあえた。
一回廻って還ってきた、春分の出来事は大きなターニングポイント、まさに「聖なる折り返し地点」でした。
この日ハートに灯された明るいときめきは「希望」だったのですね。
Reicoさん、本当にありがとうございました。
(後日談)
この頃blogでご紹介の記事「ミルクレープの層」のことが気になっていました。
でも、自分がいる層も把握できていない私、、しかしこの出来事の後、あの日自分は違う層に飛び移ったんだな、となぜかわからないけど確信したのです。
その後調べると、「2020年春分の日はアセンションへのゲートが開く最後の好機」なる情報を幾つも見つけ、ビックリ。
アセンションは次元現象、五次元、、ええっ?!
さらに、この神社の祭神は「天地開闢(てんちかいびゃく)三神」、その中の一神「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)」は宇宙の根源と称される存在なんだそうです。
だからあの時メッセージは3つだったのか、宇宙と繋がったのか、、
それにしてもReicoさんのリーディングの凄さを今回も実感した出来事でした。
もう感謝しかないです!!
いつもありがとうございます\(^-^)/