続:赤いカプセルの世界と青いカプセルの世界|0639

(続:赤いカプセルの世界と青いカプセルの世界)
先日の感想の続きです。

ニューイヤーイブの様子を読み返し驚愕!そのまんまの体験だった|0636

未消化のままお送りできてなくて、遅くなって申し訳ありません!

数年前から自分の人間関係に変化が出始め、一昨年のニューイヤーイブ&最愛の肉親との別れでさらに加速化。

そして今年のニューイヤーイブヒーリング、そしてコロナ禍が後押しとなり、今度は2極化してきたと感じています。

まさに、「赤いカプセルの世界を選んだ人」「青いカプセルの世界を信じ続ける人」といった感じで、その大きな違いは何だろう?
ここまで出かかってるんだけど、うーんと考えていたら、reicoさんが先日blogで下さったヒント(むしろ答え?)で確信ができました。感謝です!

それは、待ちの姿勢かどうか。

この「待ち」はいわゆる「人事を尽くして天命を待つ」タイプのものや、危険水域で待機が最善な時や時間の経過を要することではなく、「不満がある」「何か変えた方がいい、動いた方がいいと感じている」のに、「状況もしくは自分以外の誰かや何がが状況を変えてくれるのをひたすら待っている」受け身の状態です。

※現状を楽しんだり満足して過ごしていたり、主体的に状況に身を委ねている場合は、この受け身にあたらないと個人的には思っています。

この「受け身」体勢の顕著な例が、私のきょうだいで、自分からは決して動かず、幼少期から他者をコントロールしてパワーを奪い、欲望を叶えようとしてきました。
それが叶わないと、暴言さらに肉体的な暴力(善良な人はそんなこと自体思いつかないし)、そして屈しない相手(私)には財布や携帯など金品を盗む行為にエネルギー的な圧(所謂「念」とか「サイキックアタック」というやつ?)を送り、善意で注意してくれる人達を逆恨みしては呪いの言葉を陰で吐き続ける(夜中聞こえてくると真底ビックリします)など攻撃してきます。

癲癇の発作があり通院と投薬治療を続けていますが、この凶暴で身勝手な性格は疾患が出る前からで、所謂「サイコパス」に当たります。
タチが悪いのは「お前が選ぼうとしてるのは青だ、オレが飲んでる方が赤だからこっちを飲め!」と嘘をつき青い方をムリヤリ押し付けてきます。
よくよく見れば、一目瞭然なのに(苦笑)

でも「罪悪感」「負わなくていい責任感」「何らかの不安と恐れ」を持っているとこの罠=私が面倒をみてやってないからいけないんだ、家族の一員を見捨てるなんて可哀想だよね、私って非道い人間、というアホみたいな青いカプセルの罠にかかりそうになります。

本当にreicoさんに教えていただいた通り。
やっとそれがわかってきました。

また、最近実家にて、いつも力を貸してくれる血縁達が「病気部」もとい「心配部」の部員でもあるとわかり、ショックで脱力していました、、

皆優しい人達で、私は大変よくして貰っています(本当にありがたい)。

しかし、私の母の急死の遠因の1つが、「心配部」の血縁達の言動に振り回された果ての混乱・錯乱とわかり、葛藤していました。
悪気は一切ないのです。それどころか、母は勿論私たちのことも大切にしてくれた(今も)、これからも大事にしたい人たちです。

青いカプセルの世界では、皆善意の人にしか見えないでしょう。

しかし、、それぞれが抱えている問題の底に共通することが横たわっていました。
それは「お金に対する執着」もっというと「お金に対する過剰な欲」と「お金があれば何でも叶う信仰=度を超えた思い込み」です。

私もお金が大好きで(笑)、お金はエネルギーだと思うようになってからは、自分がどれだけそれを創出できる人間か(お金を稼げるか)ということを一番のアイデンティティーにして働いていた時期もありました。
だけど、いや、だからこそ、お金が総てだとは思いません。
あると沢山のものが手に入る、選択肢も広がるし、時に大きな困難や目的を果たせたり、人命を救うこともできる。でも「お金で買えないもの、買えないこと」が確実に存在し、そのかけがえのない大切さを身をもって沢山知ってしまっている今、「お金さえあれば、何でも叶う」はとても空しい幻想です。

「お金(とそれへの執着)」が青いカプセルの世界の象徴だとしたら、私が感じる赤いカプセルの世界の象徴は「愛」、ひたすら愛だと思うのです。

私がいるド田舎でも、身近な方々が例の「予防想定剤(←ぼやかした言い方)」を受け始めました。
ニュースを見て新聞を読んで毎日慄然とし、自分で情報を集め調べ知るたびに、どうなっているんだ、この国、この世界は、と得体のしれない恐怖を感じています。。

Reicoさんが啓蒙して下さったお陰で、その成分、性質等を調べましたが「ちょっとどういうこと?、絶対ないわ、私らジャガイモや大豆と同じ扱い、いや、これを試されるってそれ以下の扱いな訳?」と憤死しかけました。

病気部&心配部の血縁の一人が受けると知り説得しましたが、貴方も開始時期がきたら受けなきゃね、そうしたらいつでも上京できるよと当然のように薦められ愕然。血縁は医療従事者ではありませんが、情報を一般の人より早く収集できる立場にいるのです、なのに、なぜだ、、

理由を聞くと「だって皆受けるって言ってるし」「そういうものでしょう?」「受けたらもうかからないっていうし(←嘘です。症例があるので全力で説明しました)」さらには「かかりつけ医で手軽に予約できたから」「無料だしね」、、そこか、やっぱり。

「心配部」は起こってもいないネガティブなことばかり考える活動で私も足を踏み入れそうになる時もありますが、いやいや、その奥にある恐れを解放するんだとわかってからノートワークしています。
そうすると怖くなくなる、というか無効化されて現実化はしない(万が一現実化しても処理できるレベルに収まる)とわかってきました。
「病気部」については、まだ上手く説明ができません。

これは実際に病かどうかというより、その姿勢というのか、現在病に苦しんだり辛い思いをされている方や真摯に向き合って戦っている方々、不調がありそれを少しでも改善しようと取り組んでいる場合はこの範疇には入らない、と思うのです。ではなにか、、、うーん、難しい。しかし昨日、行き詰まって走ったスーパー銭湯でぼんやりしてたら突然答えが出たのです。

それは、「病気は医者に任せるもの」「具合が悪くなったら、病院に行って治してもらえばいい」「悪い所は(手術や薬で)取ってしまえばOK」「治らないのは医者のせい」つまりどこかで自分の問題ではない、治すのは医者=他者という認識です。
さらにそうなってしまった原因、なぜ病気や具合が悪いのか、にはフォーカスしようとしません。

先日、複数の病を抱える別の血縁は、さらに限界を超えてまた新たな病→手術に至ってしまい(原因は自分以外の家族の世話での消耗とストレス)、やっと、自分らしい暮らしがしたいと吐露してくれましたが、その身内が「お金(がもったいない)」を盾に端からみても不自然な状況を一向に手放そうとしません。

「お金がない」のではなく、「あるけれど遣うのが惜しい」(私よりゼッタイ持ってるのに、、←ひがみか笑)
※ちなみに、私の周りの「病気部」の部長も断トツ私のきょうだいで、ビックリするくらい、自分の体に対しリスペクトがありません。
お金に対しても、大変我欲です。たちが悪いのはその根源に、「受け身」を通り越し「怠惰」の権化になっています。
「怠惰」はウイルスのようなもので感染力があり気力を奪う、とわかったため、日々免疫力を高める=目の前のできることをして毎日少しでも、精一杯、自分を生きることが本当に大事と日々実感です!

私は(きょうだいはおいといて)、血縁達のことは好きで大切なのです。でも、部員になるのは嫌だ、だから、この偏った集団意識から私は絶対に脱出する、そして、自分にできる範囲のサポートはするけれど、きょうだいの運命共同体になることに対し誇りをもってNOと言おう、奴を倒してでも私は生き残ると決めました。
(決意表明)

あれ、これって、分断ってこと、、?
Reicoさんが仰ってた、個人レベルの問題と国や世界の問題がリンクしてるって、まさに今の状況なのかな?!

まだまだわからないことだらけですが、だんだん自分も世界の大きな変化の流れにいると感じるようになってきました。

まだ混沌として掴めていないことだらけで、支離滅裂な内容で申し訳ありません(>_<)
また感想お送りします!

name:あきこ様
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