【純自分と反自分】愚痴もOK!だけど常態化していたら要注意
生きていたら、愚痴だったり、不快なエモーショナルさが出てきちゃうことってありますよね。
人間だもの。
でね、そんな愚痴や弱音が生まれた時は、とにかくそれを許す。
そういう自分を許す。
そういう感情を許す。
そうしていると段々と気持ちが軽くなる。
なったところで新しい解釈を採用していく。
そうしたら同じことは起きなくなっていきます。
同じような不快な出来事は起きなくなります(再度同じ解釈を採用しない限り
感情と仲良くなるために
不快なエモーション(←昭和の歌っぽい)を感じ切ったつもりで
ただただ誰かのせい、環境のせい、だから自分は正しいのだ!で終わっちゃうと、多分また同じようなことが起きて、同じように不快なエモーションに苦しむことがパターン化します。
+ + + +
なので
同じことで愚痴を言ってスッキリー!のパターンが常態化していたら
自分を正義にして
相手を悪にして一時的に蜜を味わっているだけなので
解釈を変えるところまで持っていく。
計算式を最後まで進める。
動画再生を最後までやめない。
それはまだ途中だからっていう感じです。
現実を変える計算式を途中でやめず、解釈の変更まで意識していると、これまで不快感を感じていた相手や環境に対して心地良い感覚を感じられるようになります。
すると現実が好転したり
不快な相手や環境があなたの前から去っていきます。
不快感は反自分の合図
物事に対する感覚は選べます。
当たり前なんて一個もない。
一つの物語に対する解釈は無数にある。
勿論、どんな解釈を選ぶかは個人の自由なのですけど
選んだ解釈によって良い気分になったのなら、ちゃんと自分らしい選択をしたという事になります。
純度の高い自分を体験できた。
一方でますます悪い気分になったのなら、自分からフォーカスがズレてしまった合図です。
反自分の状態を味わった。
こんな風にして感情や感覚が教えてくれます。
本当の自分らしさが分かります。
なので純自分でいられるよう
反自分でいる時間を少なくしていくと、嬉しい出来事が雪だるま式に増えていきますよ。
私も日々これの繰り返しでございます。