素粒子が湧き立つ!みんなが自分を目指す世界線へ|現状こそ最高峰
「幸せでいたいから完璧な自分になる。」
その為には大筋で
A)そう成れるよう現実的に頑張る。
B)叶えた人に成り切って、現実も追いつかせる(引き寄せ)
という選択肢がある訳ですが。
どちらにせよ
こんな切り口はいかがでしょうか。
「今のままの自分が完全体」
という始め方。
定義を疑ってみる
完璧に近付けるように頑張るとか
完璧な自分像のあれこれに合わせて行くスタイルも面白く感じているなら全然OKでありつつも。
そもそも、どこへも行かず、1ミリも変えないまま「今の私が完璧さを体現している」という切り口のお話です。
ハートでスタートを切る
完璧の定義って各々あると思うんですが、その定義に合わせようとするといつかは息切れしますよね。
頭で考えた完璧さだから無理が生じているはずだし、その定義からちょっとでも外れたら感情真っ逆さま。
大前提を大風呂敷
でも
今の自分のスペックとかステータスとか
『今の状態が最高峰』っていう定義にしたら一番楽だと思うんです。
寝起きの頭ボサボサの状態が完璧。
人前でズッコケた自分は完璧。
欲しいものが全く手に入らない自分も完璧。
人間関係苦手な自分だって完璧。
そっちが完璧でしたかー!っていう。
盲点。
好きな人やキャラとかが上記のように「月曜の朝はいつも頭ぼさぼさ」だったりドジっ子だったとしても、むしろ愛らしく感じられませんか?「逆にそこが愛おしい、そこが魅力なんだ」と。
だから状態そのものは完璧さとか愛され度とは必ずしも紐づいていない。
もちろん自分自身が「人前でズッコケてばかり」になるのを積極的に望む人は多くないでしょうけど。ただこういう発想で安心感が増すなら最高ですよね。安心感のような心地良いものが現実を生み出して行くのですから。
やっぱりハートでしょ
そんな訳で
「完璧とか幸せとかを頭で考えすぎてたかもしれない。あらゆる全ての自分を許し、愛するとは、こっちでしたー」
に振り切ってみる。
そんな時間があっても良い。
でしょ?
これなら断然楽ちん。楽市楽座。
楽市楽座…、勢いで書いてみましたけど、あながち。
自由市場参入
「完全無欠に見える人は、こういうスペックを持っていて、ステータスはこうである」といった一握りの人達だけに旨みがあるヒエラルキーが、この社会には無きにしも非ずだった。
でももう自由よ、っていう感じで進む。
楽市楽座。
自由に商売しちゃいましょう。
自由に完全無欠の定義を、各自ではじめちゃいましょうっていう話。
特別な場所でだけ「完璧ー」って叫ぶのではなく
今立っている道端で「完璧ー」って叫んでしまう。
(現実社会で叫んじゃったらアレなので内に秘めつつ)
光の粒子の集まりだから
今のこの瞬間の自分がエベレストの頂上。
素粒子の集まりで出来上がっている自分の全てが、完全無欠で最高峰の状態である。
そんな風に自分で自分のことを思ってあげるのは、罪でも何でもないですよね。
(ほら、それだけでも素粒子たちがワクワクし始める)
遊びなんで
なんだったら世界中のみんなが
自分のこの状態を目指している…という世界線。
あの世界的な歌姫が私に憧れている、だと?
あの鳥までもが今この瞬間の私を目指している、だと?
…わ、悪くない。
うん。その世界線も悪くない。
という遊び。
人生はそんなちょっとした解釈でクスッと笑える。
それの連続で良いし
その積み重ねで幸運が次々起きていく。
感覚が現実を映し出すから。
誤解がないように補足です。
別に本気でみんなが自分を目指した世界線を構築する必要もないですし、競争的な、新たなヒエラルキーを望んでの遊びではなく、発想の転換遊びで「テヘヘ」ってなれれば何でも良い。
その時々で己の中にある快/不快の快を引き出せればOK。