誰もが自主制作映画の主人公
REICO
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自主制作映画の主人公
誰もが自作自演、自分で作ったシナリオ通りの人生を生きている。
シナリオはその人の世界観に基づくもので
「これを言ったらこう言い返されるだろう」とか
「これをしたら褒めてもらえるだろう」とか。
ただそうした構図を忘れてしまうくらい映画(地球人生)の中にどっぷり没入してしまった。
俳優が演じている役に入り込み過ぎて、元の自分を忘れてしまうようなもので。
演じた役の設定を本気で信じているので、その役のように振る舞うし、考えるし、感じている。
それこそが自分であると想定して生きているから、どんどんそれが現実となり体験し、ますます抜けられなくなってしまった。
それが今の私たちのようなもので。
笑ってたら解けていく
だからね
自分でやりたくて、この映画の主人公やってたんかい!てこと。
なら仕方ないかと笑ってしまえればOK。
じゃあ、あの人もこの人も自主制作中なのかと裏側を知れたらフフフと笑みがこぼれる。
あの人めっちゃ自分をヒーロー仕立てにするの上手いやん、とか。
あの方は悲劇を生み出す天才かもしれん、とか(煽りではなく純粋なまなこで)
才能に満ち溢れている
誰もが超絶的な才能をもって生きていた。
なんだ、じゃあみんな大丈夫だったねってこと。
だって自主制作しているだけなんだから。
何を信じていようが、信じているということはそうした物語に何かしらの興味や親和性があるからで。
流石にいつか飽きたら手放すはずで。
だから心配しなくて大丈夫だったんだよね。
安心して大丈夫ということ。
自分も、みんなも大丈夫だったってこと。
でね、こうした感覚をポケットに入れて行くだけでも
更に大丈夫になって行く。
これが、この場所の法則なんだよねってお話でした。