「余生を生きる」感覚になると自由度が増す/自分設定であそぶ

REICO

yuuyake
 
・人生って本当は、自分の自由でいいはずなのに

そろそろ良い歳だからこうすべきだよね?とか。

同年代の人はこうしているのだから自分も…とか。

そんなの不自由ですよね。

子供の頃は
「大人になったらこれができる、あれもできる。全部自分で決められるんだ!
親や先生にあれこれ言われないよう早く歳をとりたい!」
って思っていたはずなのにね。

でも、年齢であり方を決めるのって、幻想ですよね。

実際に誰かに何かを言われたとしても
自分が受け入れなければ「参考資料」なだけです。

もし、カレンダーや時計がなかったら
今自分はどんなあり方をするんだろう。
数字(年齢)が大した意味をもっていないとしたら
自分はどんな姿をしていたいだろう。

そんな風に当たり前のことに風穴を入れてみると面白いです。

私はたまに「余生を生きる」感覚をとりいれることがあります。

いま自分は余生を生きているんだって想像するだけで
選択肢にあそびが生まれたり
わがままを楽に発揮できるようになるからです。

余生なんだから好きにさせてね、とか
余生なんだから冒険させてね、とか
余生なんだもん大目に見てね、とか。

余生という設定にすることで
小さな子供のいる親だし、とか
妻として、とか
女性として、とか
クレアボヤントとして、とか
そういう役割から抜け出し、本来の自由を取り戻しやすい。

自分の中にあった罪悪感をさぁーっと吹き飛ばしてくれる余生設定。
・むかーし、誰もいない夜道を一人で歩いていた時
その日は急に「変な人に襲われたらどうしよう」って思ったんです。

でもそれと同時に
「もし私の方が変な人だったら誰も襲ってこないよね」
と思いつきました。

すぐにパーカーのフードを目深に被り
袖に手を隠して幽霊のようにブラブラさせ
小さく反復横跳びしているような変な歩き方をしてみました。

完全におかしな人の出来上がりです。

なんだかそんなことをやっている自分にも笑えてきました。
恐れも消え去り、ひとりニヤニヤしながら帰宅したのを覚えています。

自分という存在の前提/設定にあそびを加えてみること、オススメします。

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