今のための今。そしてあなたは憧れの的|年始1月予約【進撃の巨人】
いつも当サロン、ハスネオをご愛顧いただき誠にありがとうございます。来年1月分のご予約カレンダーを更新いたしましたのでお知らせいたします。
【予約カレンダー】
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進撃の巨人最終回
アニメ「進撃の巨人」完結篇(後編)を観終わって数日経ちました。
漫画の方ですでに最終回を読んでいましたが、アニメ版も本当に良かったです。実在した人達の人生を見させてもらったような喜びと切なさとで感慨無量でした。
NHKの「100カメ」進撃の巨人アニメ制作裏側の番組も面白かった!
日常にこそ愛が
(此処から数行ネタバレ気を付けてください
完結編(後編)で一番心に響いたのは…
アルミンとジークが『何でもない日常こそが大事なんじゃないか』と示唆するシーンでした。
種の存続とか生命が進化していく為に
もっと増やして
もっと強くなって
もっと大きくなって…。
もっと、もっと、もっと…。
そんな生命の宿命のような活動についてジークが話したあとに、およそ生命活動に関係なさそうな些細なことを愛おしむ場面が好きでした。
今のための今で良い
Photo by Taylor Wright on Unsplash
アルミンにとっては、友人のエレンやミカサと落ち葉が舞い散る丘の上まで駆けていく時間。
「ここで3人で駆けっこする為に生まれて来たんじゃないかって。
何でもない一瞬がすごく大切な気がして。
僕にとってこれは、(種が)増える為に必要でも何でもないですけど…すごく大切なものなんですよ。」
『進撃の巨人』作:諫山創
ただそれだけで良かった
Photo by Ben Hershey on Unsplash
ジークにとっては、親代わりのクサバーさんとするキャッチボールの時間。
「ああ、そうだ。
ただ投げて、取って、また投げる。ただそれを繰り返す。
何の意味もない。
でも確かに、
俺はずっと、キャッチボールをしているだけで良かったよ。」
『進撃の巨人』作:諫山創
全体意識が憧れるもの
Photo by Octavian Rosca on Unsplash
なんで響いたかというと
宇宙の全体意識と同調する度に、上記のような『他愛もないシーンに対する愛情と憧憬』を感じるからです。
その愛とか憧れは、あらゆる可能性のワンシーンに向けられていて。
数多のシーンの中には千差万別の主人公がいる。
例えば私もこのブログを書いているシーンでは主人公だし
この記事をお読みくださっている方もそちら側でのシーンでは主人公。
そんな感じで、誰も見ていないようなシーンの主人公がこの世には沢山いる。
階段を二段跳びで上がったり。
非常階段に隠れてお菓子を食べたり。
自転車に乗って買い物に行ったり。
何か本当に些細なシーンに対して、全体意識はキラキラした眼差しを向けていたんです。
ここに書き切れないほどの、この星のあらゆる場所で起きているシーン/経験に対して、全体意識はまばゆい愛を抱いていた。
今にも手を伸ばして抱きしめたい!というような愛情。
自分もそれを味わいたい!というような憧憬。
それらを垣間見るんです。
凄くなくて良い
何かのために生きるのではなく
何かのために頑張るのでもなく
今ここで起きていることを味わう。
それが一番生きている実感を味わえる。
成功しないと分かったらそれをしないのか。
失敗すると分かったら好きなことでも手放すのか。
なんだかそれは、「生きている」のとは違うのかもしれない。
というよりも「純度100の自分を味わえない」のかもしれない。
今の自分でオールOKだ
すごい事をしなければ価値がないと思ってしまう。
自分なんてと尻込みもしてしまう。
誰かに「あなたは面白くない」と言われたら一瞬で10歳は老け込みそうだけど。
意味があるのかないのか分からなくても
それでも
今のままの、この瞬間の自分を愛する。
宇宙に甘えよう
自分にとってはありふれた日常が
もしかしたら他の人にとっては珍しかったりするかもしれないし。
ありふれていたことに共感しあえて気持ちが明るくなるかもしれないし。
何の意味もない、合理性も見いだせない、損得でも測れないのが「愛」なのかもしれないし。
なんかね、全体意識のあたたかさにもう少し甘えて生きていきたいなと思う今日この頃でした。