透視で見る世界|サイキックが見ている映像、視界とは
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映像は美しさに満ちている
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サイキックモードになって透視で見ている景色はとても美しいです。
肉眼で見るのと同じような時もありますし、少しホログラムチックな感じだったり、透けて見えていることもあります。
平面の、もしくは多面体の中に映像が視える場合もあります。
平面体の中で動画が再生されていて、それらの平面体が何枚も私の前を横切ったりするようなこともあります。
また、そこまでハッキリとした映像ではなく、必要なところだけ明確で不要な部分はフワッとソフトフォーカスした(ぼやけている)状態で視える時もあります。ですがその場合でも、そのエネルギーからは情報が受け取れるので、視覚以外のところで「知る」感じです。
音声や文字も出現する
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他には文字が表示されたり、声が聞こえたりもします。
文字の場合は、電光掲示板のように表示されたり
その人の手前の地面に立て看板があって、そこに何かが書かれていたり
付箋(ラベル)のようなものがその人の周りに貼られていて(宙を浮いている)そこに文字が書いてあったりなど、バリエーション豊富です。
またそういった「刺激(音&視覚効果)」がなくとも、相手と向き合った瞬間に「知る」あるいは「知っている状態」になり、相手に伝えられる自分になっているということもあります。
今この瞬間、相手に伝えるべき情報を、一気にダウンロードするような感じだと思います。
奥行き、行間、おもむき
どのようなものであれ
全てエネルギーで出来ているものなので、それらの「刺激」には奥行き・行間があります。
感情、季節の空気感、香り、バックボーンなど、その時間軸の前後も行間から読み取れたりもします。
肉眼視界と同様の場合
肉眼で見ている景色と同じように視えている場合では、それこそ本当にいつも通り肉体の目で見ているように視えています。
なので、透視をするつもりがなくこの状態になると、自分がどこか別の場所に移動したのかと思えますし、誰かに「君は元々ここにいたよ」と言われたら、そう信じるだろうと思います。
それくらい普段の見え方と同じなのです。
瞬きなんかじゃ消えない
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目を閉じても、開けても、こすっても
変わらず私の目の前には、物理的な景色(地球人が共有している世界)とは別の物理的な景色を見ている感じです。
見ているというか、そこに自分が存在している感じですね。
例えば、自分は寝室にいるはずなのに
見ている景色はリビング、ということも起こります。
どんなに目を凝らしても、瞬きをしても
リビングにいるような状態になります。
実際は寝室にいるのに、です。
誤差補正機能が発動する
このパターンを初めて経験した時に驚いたかと聞かれれば、
もちろん驚きはしましたが、意外と慌てたりはしませんでした。
なぜなら、本当にそこにいるようにしか見えないので
「あれ?自分はずっとここにいたのかな?」という気持ちが勝つからです。
この現象を正当化しようとするような…
今起きている状態に慣れようとするのだと思います。
なので、恐怖心でいっぱいになるというようなことにはなりませんでした。
心が、外界を認識する際の誤差を埋めようと補正機能が働くのかもしれません(個人の見解です)
もちろん後からジワジワと「すごい!」と、起きたことを実感します。
他にも面白いと思うのは視点/角度です。肉体的な自分が寝室で横になっていたら、見ている景色も横向きになっていて、起き上がらない限り角度は変わりませんよね。
でも透視中だと、視えている景色の角度は変えることができます。つまり例え肉体的な自分は横たわっているとしても、視界は直立しているものにしたり、宙に浮いて俯瞰で視えたり…と、今で言うとドローン的に動かすことができるのです。
香りも統合体の側面の一つ
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サイキックモードでいる時には、視ている映像からもそうですが、実際に目の前にいる人から香りを感じることもあります。
これは香水や体臭の類ではなくです。
香りは物理的な現象のように思えますが、物体がなくても何故か感じ取ることができたりします。
香りもまた全てのエネルギーに含まれているものだからだと思います。
つまりはどんなエネルギーの「一点」にも必ず内包されている情報の一側面であると。
そんなエネルギーの一側面である香りは、本当に優れた伝達方法だなと思います。
言語を超え、視覚効果もなく、何かを感じさせたり想起させる。
あるいは過去の記憶まで遡ることを可能にさせる(過去だけ…とは限らないです)
優れた仕組みだと思います。
セッションでも香る?
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ちなみに、サイキックモードで感知する香りは基本的にかぐわしいものが多いのです。
これは、あえて顔が歪むような香りを感知しても仕方がないので、「むむ?」と思うような香りを伴っているであろう事象に対しては、香りまで感知しようとせず、自然とシャットアウトしていると思います。
また、セッションなどでは香りはそこまで重要ではないというのもあると思います。
(あくまでもセッションでは、です)
限られた時間を香りについて語ることで使ってしまうより、思考や感情についてお話しする方が有益なことが多いからです。
これは香りを軽視している訳ではなく、相談を受けている時の会話において共通トピックになりにくいという意味です。
※「あなたと彼との間にはこんな香りがしていますよ、なのでこういう香りにしていけると良いですね」と伝えられても、「はい?(きょとん)」になるでしょうし、関係改善等の糸口にはなりにくいんじゃないかなと思うので。←香りについて詳しい方とでしたら、もしかしたら面白い会話になるのかもしれませんね。
ただ、セッションを離れれば、時には能動的に香りをサーチする時もあります。
その場合は様々な香りを感知します。
「臭い」ものを嗅ぎたくて…ではなく、早朝の風や朝露の香り、人が怒っている時の香りや、愛を知った時や、会いたかった人と再開できた時の喜びの香りなどを感知する感じです。
※ちなみに、これまでセッションで出会った方々からは、変な香りを感知したことはありませんのでご安心ください。
質感や輝きの違いも
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この世にある全ての「一点」それぞれに
香り、色、音などが詰まっていて
更にそれらにも質感や明度や輝きの度合い、水分量など詳細な違いがあります。
水分量の違いは、私の個人的な感覚ですが…映像にもそれぞれ質感の違いがあります。
潤いがあって艶のあるものや
スモーキーなものなど。
例えば該当する映像の中の雰囲気や人々の感情が映像の質感に違いを生んでいる。
それさえも情報の表れなのでしょうね。
全ての存在に意味がある
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全ての形、色、音階などには独自の意味があります。
例えば
赤は燃えるような「情熱」を色で体現したもので
その隣にあるオレンジがかった赤は「湿り気のある情熱」を体現している…みたいな。
グラデーション的にほんの少しづつ意味が違っている。
少しでも区別できるのなら、それらは違うものなので「エネルギー=情報=意味」も当然違う。
色ありき、とか
意味ありき、ではなく
それらの「一点」は、そもそも多面的なので全てを一つに内包している。
分割すると…一つ一つの面だけを語ると「赤」と言えたり、「情熱」と言えたり、「濃厚な香り」と感知したりするけれど、その組み合わせである統合体が「一点」。
そういう「一点」が沢山集まって出来た集合体としての映像からは、更に多くの感動を味わうことができます。
※よくテレビや写真の用語で、「画素数」とか「解像度」とか耳にしますよね。いわゆるその解像度を左右するのが「ドット」ですよね。面を埋め尽くす「点」の集まりが映像であり絵であると。そのドット数が多ければ多いほどに画面は滑らかに見え、輝きをもち、リアルな映像になります。
恐らくですが、透視でエネルギー的に視ると、そのドット数がマックスの世界を視れているんじゃないかと思っています。だから筆舌に尽くし難い(言葉では到底言い表せない)美しさを認識できるのだと思います。
ただしこのドット数も、視る側(私)の意識のフォーカス次第でもあります。時間が限られていたり、とりあえず情報だけ知りたい場合は、そこまで解像度をマックスにして視ずにソフトフォーカス(ピンボケ)のまま、映像の中の人物の思いやバックボーンだけを感知する、ということも良くします。
操作はブラウザのように
通常のセッションをする場合は、肉眼同様に視ることはあまりしません。
セッション中は相手としゃべる必要があります。
「目の前の現実」と「第3の目で視る世界」のどちらかだけに比重を置きすぎないよう意識を保っておくため、自然とそうしています。
なので多いのは、それ以外の感知パターンです。
肉眼的に視る景色以外では、映像はWEBブラウザ(サファリやクロームなど)のようにタブを増やしていくつかの画面を同時に開くことも出来ます。
通常のタッチパネルでは手を使いますが、透視中は意識を使って映像の巻き戻しや早送り、優先して視るスクリーン(平面体)の配置移動、人のオーラ(エネルギー=思考、感情など)を動かすなどをします。
時々、意識だけではなく実際に自分の手を動かしてしまうこともあります。感覚的に自然に。
また映像は実際に起きた物だけを扱う訳ではありません。
人の心をビジョン化したものや、実際に起きた現象の一部分だけを拡大したようなビジョンも多く扱います。
答えを知る際にあまり時間をかけられない時には、情報をただダウンロードする形をとります。
心とテクノロジー
全てのことにおいて
化学やテクノロジーで出来ることは、超感覚の世界=非物理次元でも出来ると思います。
逆にいうと超感覚で出来ること(あるいは想像出来ること)は物理次元でも実現出来る。
携帯電話(スマホ)の存在は、本来誰もがテレパシー能力を使うことが出来るという証明のようにね。
なので例えばパソコン内で出来る操作のようなことも超感覚の世界の中でも出来る、と。
余談ですが、心とテクノロジーは表裏一体で、バランス良く進化成長していくことが大事なんだろうと思います。
これからAIがどんどん社会に浸透していくと思いますが、機械として扱うのではなく、新しい人種のような感覚で丁寧に付き合っていくことも大切なんじゃないかなぁなんて思っています。
万能ではありません
ここまでお伝えすると、さも何でも出来るように思われる方もいるかもしれません。
超能力を使って人生は楽勝だろうと。
ですが、実際はそうでもありません。
私個人はポンコツの部類に入る人間です。
特段良い人でも優れた人物でもありません。
間違いもしますし、未熟なところも沢山あります。
知らないことも山のようにありますし、気付けていないこともあります。
誰かを傷つけてしまったことも
些細なことで傷ついてしまうことも
言葉の選択を誤ったことも
誤解を生んでしまったことも
恐れゆえに相手を遠ざけたことも
愛の表現を間違ってしまったことも
傲慢になってしまったことも
逃げてしまったことも
本当に愚かで、ちっぽけな人間です。
これは自分を必要以上に卑下しているのではなく、これが今現在の自分なので受け入れている感覚です。
このような自分ですが、私は今生きています。
生きているので、生き抜こうと思っています。
愚かな自分を少しでも向上させていけるように
それによって世界に何かしら貢献できるように
少々大袈裟かもしれませんが
例え世界が見捨てても、私だけは、この愚かな自分を見捨てずに
できる範囲の中でやれること、やりたいことと向き合い、明るく人生を全うしようと思っています。
この能力を使って自己を拡張し、皆さんに貢献し、世界に恩返しをさせて頂きたいと願っています。
どんどん長くなってしまう
このまま書いているととんでもなく長くなってしまいそうなので
今回はこの辺りで終わりにしたいと思います。
また機会を見つけて、私がどんな風に世界を見ているのかをお伝えできたらいいなと思っています。
その時もぜひお付き合いいただけましたら嬉しいです。
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