辛さを抱きしめると世界はバラ色になる【辛抱の真実】

REICO

「宇宙は、私たちとその全ての経験を完全に愛している」という事について会話していた時の主人のセリフから始めます。

「しんぼう」って言葉あるじゃん?
漢字で見ると改めてすごいなって思ったんだけど…
 
「辛さ」を「抱きしめる」って書くんだよね。

喜怒哀楽すべて同じ価値

私が宇宙の全体意識になるまで自分の意識を広げていくと必ず感じるものがあって。

それがどういうものかというと
森羅万象すべてに対し「口出ししない」感覚になる、というものなんです。

全部が愛おしい

例えば私たち個別意識にとって
気が滅入るようなニュースは連日報道されますよね。

ですがそういった事に対しても全体意識は過剰反応しないんです。
私たちが好ましいと感じる出来事もそうでない出来事に対しても。
輝くような眼差しで見ている。

可能性の光…
なんて素晴らしい!

これが良い。
それが良い。
 
欲しい(それになりたい)
違う、そのまま自由にさせる!
 
これは私
これが命
 
愛している。
 
ありがとう、ありがとう、ありがとう!

唯一無二

その感覚を完全に言語化するのは難しいのですが「感動全部入り」「心を動かす全て」みたいな感情。

もう少し意識を下降させたザックリ次元で表現してみると
子犬同士がじゃれあっているのを見るように私たちのことを捉えている。

「あぁ今日も元気だね。可愛いね、可愛いね。」みたいな。

でね、子犬と暮らせばお世話も必要になってきますよね。

粗相することもあるし
毎日ご飯を用意しなくちゃだし
何かあったら責任を取る立場にもある。

ただ可愛いだけ済まないような事もある。

だけど愛が勝る。
結果そういう細々したことも全部愛おしくなる。

全部入りこそ至高。

最高の経験を共に味わう。
振り返った瞬間は全てかけがえの無い思い出になる。

そのままが良い

全体意識からしたら全ての経験は必ず終わる、その事を知っている。
あらゆる可能性の一つである事を分かっている。
しかも全て自分自身(全体意識)が望んでいる事。

だから口出しする必要性がどこにもない。

1ミリたりとも手出ししたくない。

だってもうそれこそが完璧だから、と。

辛抱の本当の意味

とまぁ、全体意識ってこういう感覚なんだよと主人に話した後に
記事冒頭の通り「辛抱」の漢字について主人が話し始めたんです。

役所広司さん主演の映画『素晴らしき世界』を観たばかりだった主人。

鑑賞後に思うところがあって「辛抱」という文字を改めて眺めてみたんだそうです。

辛抱=「辛さ」を「抱きしめる」

 
一見すると辛抱って我慢するとか、耐え忍んで黙るみたいな湿っぽいイメージがありましたけど、「辛さを抱きしめる」という字で成り立っているんだと再認識させられると印象が全く変わってきました。

嫌な人も、嫌な出来事も、自分の嫌なところも全部ひっくるめて抱きしめる。
悪意を抱かずにね。

そういうことが辛抱ってものになるんじゃないかなって思えました。

自分を押し殺す類いのものじゃなく。
傷付いたまま人を遠ざけるとかでもなくて。

それこそ宇宙の神の眼差し。
そのままで完璧だよ、だからどうぞ色々やってごらん精神。

そうは言っても私たちの次元では相手を信頼しているからこそ、肯定しているからこそ何かを正直に伝えるって事はあると思います。それは口出しっていうよりも自己表現であったり、相手に対して「あぁこの人も自分なのだ」と抱きしめていく、統合していく物語であって…次元に合ったコミュニケーションですよね。

日本語ってすごい

これまでは重苦しく感じていた「辛抱」という言葉が、今や私の中では悟りの境地のようなイメージに変わりました。

宇宙が抱く私達に対する鮮烈な愛。
あらゆる事象に対する憧憬。

誰も孤独じゃない

宇宙は私たちと共に経験している。
あらゆる感情を同時に味わっている。

ゆらぎながら。
放ちながら。
受け止めながら。

それだけでも、そういう事実だけでも「自分は孤独じゃないんだ」って分かって勇気になる。
安心する。

こんなビッグスケールな家族がバックについているんだから何でもござれ、どんど来いになる。

という事で
どこに行こうが一人ぼっちになんてなれないのですから。
何をどう信じ込もうとも一緒に生きているのですから。

私たちはみんな繋がっていて
愛されていて
歓迎されている存在なのですから、最高の景色だけを見て行きましょう。

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