批判する人には罪悪感がある!罪悪感を手放すと人間関係が楽になる

REICO

批判は罪悪感が元にある

誰かを批判してしまう時って

実は自分の中に罪悪感があったりします。

葛藤が強いとも言えます。

「あの人は間違ってる」

という確固とした考えを表明したい(あるいはすでにしている)時は

ほぼほぼ批判する側の中に

「自分とは違うやり方をしている人を倒しておかないと、自分のやり方が間違っていることになってしまう!」

という恐れがあって

それはつまり
自分の考えを信頼しきれていなくて

もしかしたら自分が考え方を変えないといけないのかもしれないと不安を抱えていて
自分に対してどこかで薄っすらダメ出しをしている。

自分の方が悪い人間なのだろうか?

自分は悪い考えを持っている罪人なのだろうか?

そんな風に
「自分は罪人である」と(深層心理では思い込んでいたことを)感じるのって、とっても苦しいことなので

深く自分と向き合う前に
反対意見を持っている人たちをやっつけようとしちゃう。

批判する側もしんどい

誰かを批判してる時って
ほんとのところは本人も辛いはずなんです。

全然楽しくない。

だって、本当の自分の気持ちに気づかないようにしているから、なんだか息苦しい。

抜け出す方法は簡単

この状態を抜け出すのにシンプルな方法があって

それは

どちらも正解にしちゃう。

自分も正解。

相手も正解。

どっちもそのままで良い。

反対意見も存在していて良いし
自分も相手も、その考えを好きなだけ抱きしめていて良い。

相手にはその“自由”がある。
自分にもその“自由”がある。

相手にはその“権利”がある。
自分にもその“権利”がある。

自由は共存できる

この世界観の中でだと
戦う必要性が完全になくなっちゃう。

だって、どちらも正解で、どちらも間違っていないから。

でね、互いの自由が理解できると

自分のことも罪人だと感じないでいられる。

どっちも駄目じゃなかった。

出会いは交差点

それぞれ、どういう道を歩いて「ここ」に来たのか

そして、「ここ」からどういう場所へ向かっているのか。

私たちは、「ここ」で交差はしているけれど
道のりは違うし
何を達成したいかも違う。

だから、考えが一緒じゃなくても良い。

「あの人は間違っている」なんて、しなくっても良い。

「自分は間違っている」なんて、全然しなくて良い。

今の自分自身を、目一杯味わっていれば良い。

時には怒りもパワーに

ちなみに

誰かを嫌って、「もうあの人のやり方にはついていけない!!」っていう怒りをパワーにして

奮起する燃料にして

現状を打破するってことも往々にしてあって、それもオールOK。

これは、闇雲に相手を批判してやっつけているのではなく

自分のアイデンティティーを確立したくて

自分らしくない考えとそうでない考えを区別する方法ではあるんだよね。

優しい人はギリギリまで耐えちゃうので

「もう我慢できない!」ってなるまで怒りを沸かせないと、(自分にとっての)不要なものとセパレーションができないんだよね。

(でも、そこからしばらくたって、「最終的にはどちらもOKだった!」にたどり着くと、とっても気分が良いよ)

まとめ

自分が何に罪悪感を持っているかって、意外と全部気づいてなかったりします。

でも、誰かを批判したい時は
自分の中にそれにかかわる罪悪感を持っているという証拠です。

つまり、より自由になるチャンス!ということです♡

相手が問題なのではなく
自分と深く向き合うタイミングということです。

罪悪感と人間関係について

下記の音声noteでは罪悪感により人間関係は大きく変わる話を実例とともにお話ししています。
是非ご参考にしてただければ幸いです。

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