サイキックの日常ってどうなの?瞑想について語る【攻撃を無に帰す凪】
普段のサイキック
ありがたいことに
「普段はどんな風に過ごされているんですか?」と、ご質問頂くのですが
公園で読書したり
海辺で瞑想したり
宇宙人と宇宙船に乗って火星探索しに行ったりしていません。
平凡な日々です
湘南に住んでいるくせに意外と毎日海に行く感じではありません。
そもそもインドアな人間なので。
実際はといえば
最近は我が子と「鬼滅の刃」ネタで盛り上がっています。
成長って素晴らしい
Photo by Kelly Sikkema on Unsplash
我が子はSwitchで「フォートナイト/Fortnite」という世界中で大人気のゲームをしています。
そのフォートナイト中に仲間を救ったり
仲間に助けられている様子を見ていると胸熱になり
高度な技を使えるようになっているのを見ては
その成長速度に感心したり
なので子供がゲームするなんて時も面白くて良く眺めています。
先日、子供がフォートナイトをしていた時の会話。
子供 「コントローラーがきかないっ! うごけ〜。」
私 「は!これは凪(なぎ)だ。水の呼吸、十一の型、凪。全集中するんだ!」
子供 「ぜんしゅうちゅうっ!」
Photo by Ian Keefe on Unsplash
ということで(どういうこと?)
記事タイトルのナンバリング…ようやく、やめられました。
凪をかけられたのでしょうか。
(この記事だけ読んでも分からない「身内ネタ=ナンバリング」ですみません)
本日も精力的にご感想を更新しております。
瞑想について
私は毎日のように透視を行っております。
なので毎日海辺へ行って瞑想!というようなことはしていませんが、通常から瞑想/メディテーション状態にスイッチ切り替えをしています。
海辺ではありませんが実際は毎日深い意識状態を経験しています。
瞑想についてもよく聞かれるので
私なりに感じていることを少し書かせていただきますね。
瞑想はそんなに複雑なことではなくて
ザックリ言ってしまうと『思考に振り回されない意識レベルに立つ』ことが出来ていれば十分だと思います。
つまり思考そのものを止めようと頑張るのではなくて
思考がそこにあろうが
次々湧き上がってこようが
自分からピックアップして行かない。
思考によって自分が右往左往しないようにする。
自分の方こそがある特定の思考に反応して
あれこれ考え始めたり
怒ったり悲しんだりして
自らその思考の点に留まっていたことに気づく。
こういった構図を理解した上で、何物にも執着していない意識状態をただよう。
すると雑念が、自分と離れた場所に位置します。
ニュートラルな自分と雑念とのエネルギー的な距離ができます。
ギュッと小さく丸めていた網をバッと宙に向けて投げ広げる感じ。
瞑想以前の人の視界は、網目の結び目同士がギュッと凝縮する形で
本来の自分の意思、直感の近くに雑多な思考も見えています。
自分の至近距離にたくさんの選択肢が見えている。
すごく近くにあるので迷います。
どれが正解なのかわからない。
自分らしい選択がどれなのか見分けがつかない。
瞑想状態、あるいはそれに準じた意識状態だと網目の距離が健全になり、心に余裕が生まれます。
よって本来の自分を取り戻し(チューニングが整う)心から納得できる選択に手を伸ばせる。
それによって今熱中すべきことが明確になると思います。
思考も出来事も、そのままあって良い。
そこにあって良い。
形も変えなくて良い。
外側をどうにかしようとするのではなく
ただそれらに振り回されない自分であればいいだけ。
その真実に気づく。
自分が主軸になる。
純度100の自分になる。
戻す。
チューニング。
そういった気付きの状態になりやすいのが瞑想です。
ここが最も大切で
それこそが瞑想がもたらす素晴らしさだと思います。
(超能力を開発したい場合の瞑想だとまた別のアプローチがありますが)