見ている色がみんなで違うということはあり得ますか?【色彩認識度】

Reico

色とりどりPhoto by Annie Spratt on Unsplash

Q1.
Reicoさん、いつもブログ楽しみにしています。
お忙しいと思いますがいつか教えて頂けたらウレシイです。
前に家族と同じものを見ているのに違うものを見ているような気がしてドキっとしました。
色が沢山見える方が進化していたりするでしょうか?同じ人間でも見え方がみんなで違うような事はありますでしょうか?

A1.
はい、あります。

沢山の方をリーディング(透視)していく中で良く分かったのですが
人がそれぞれ認識している世界は、極端にではありませんが違うことは確かです。

例えば、認識できる色彩の幅は人それぞれで違います。

1)完全orほぼ全ての色彩の違いを認識できる人
2)必要十分なだけの色彩を認識している人
3)色彩を遠ざけている人
4)その時々で色彩認識率を変える人

大きく分けるとこのような感じで、あとは上記の間をグラデーションにしたどこかしらに位置していると思います。

微細な違い

カナダのミュージアムPhoto by Scott Webb on Unsplash

自身の見え方と他者の見え方を実際に比較する機会は少ないと思いますので、殆どの方は自分がどの程度認識できているのかの自覚がないと思います。

ただ誤解がないように書いておきたいのですが
「色彩認識度=幸福度」ではありません。

単純な「違い」はあるけれど
人それぞれに必要な状態を体験しているだけだと思います。

なので、今この瞬間の自分や相手を肯定しつつ
その違いにワクワクしたり、驚嘆したり、学び合ったりするのが一番良いのかなと思います。

違いはギフト

自分と違うものを経験している人との出会いはギフトでしかないですよね。

自分が選択しなかった体験を味わっている人な訳で、まるで並行次元にいる別の自分との出会いみたいなものですし。
とても貴重で、分かち合えれば互いに拡張もできます。

コミュニケーションをとっていくと刺激し合うので(あるいは観察すると)
新たな発見もあれば、眠らせていた記憶や能力のスイッチを入れ合うことも可能になります。

色彩は進化度に関係する?

モノクロの世界より、色彩豊かな世界を認識出来れば進化しているのか?についてですが

色彩認識度は人間的進化を測る装置ではないと思います。

それよりも感情的および思考的なところで
自分や人生についてどう解釈しているのかの結果によるものとか
選択的癒しの期間として色彩を制限し静寂を体験しているとか
(この辺はまた後半に書いてます)
何かそういう方向で捉える方が近いんじゃないかなと思います。

また別の観点から『前回の人生ではオールマイティーに能力を使いこなしたけれど
今回の人生では一点に集中したいので能力の数をタイトにし、その分一点豪華主義的にしてみよう!』とあえて機能を絞り込んで、自分のスペック等を選択する場合もあると思います。

全ての経験は各個人の選択によって成り立っています。
色彩をどれだけ認識できるかだけでは単純に人の進化度は測れないと思うところです。

色彩認識度は変えられる?

それでも現状に飽きた場合は選択した時の自分の感覚/理由を思い出すか…
とにかく今この瞬間を肯定し、再度選択し直せる更地に立てば変更することが可能だと思います。
(またはめちゃくちゃ念じる!)

モノクロに近い世界とは

白黒写真,小鳥二羽Photo by Jongsun Lee on Unsplash

色彩を遠ざけている/遮断している人の場合はどのような理由なのか。

前述したカテゴリー(3)に入る理由も各自で細かく違うと思いますが

過去に大きな悲しみや衝撃的な経験をし
その記憶を持ち越して生まれ
色彩を感知しない癖がついたままという優しい人もいます。

孤児院で身寄りのない子供達と一緒に生活し見守ってきたシスター(修道女)が、買い物から戻ってきた時に子供達が危険な目にあったことを目撃し「出かけていなかったら守れたかもしれない…」と自分を責め続け、そしてこれまで子供達の輝く笑顔や色とりどりの服を来て駆け回っていた姿に目を細めていたけれど、その情景を思い出すと胸が張り裂けそうになる…という体験をしていた場合、色彩認識度を狭めることで、心の傷にアクセスしないような効果を生み出せたり、癒されるまでは無闇に刺激せず、静寂の中を生きることを選択することがあります。あるいは自分を責め過ぎてしまい、輝く世界を見るその資格がないと思い込んで、その体験を罪悪感と紐づけていた結果だったり…など。

『恋をすると世界の何もかもが美しくバラ色(色彩豊か)に見え
失恋をすると世界中がどんよりと無彩色に見える』

人の肉体のセンサーはそんな風に感情や思考に左右されます。
それを一時的に味わうのか、継続的に味わうのかの違いだろうと思います。

なので、能力が不足しているというものではなく
どちらかというとロマンチシズム的な生命の物語の一つとして
現在の経験を選択している節があるように思います。

また(科学的な人体実験の被験者だった経験から)肉体に対する抵抗感を拭えず完全にコミットしていない結果であったり。
ごく稀に、地球人以外の経験から色彩を重要視していない癖を持ち越している人もいるのではないかとも思います。

どちらにせよ、全ては物語的だと思います。

色彩認識率は変えられる?

どのような理由であれ、今この瞬間の自分を肯定すると
選択できる更地に立ちます。

ここでいう更地とは、どのような強い思い込みもこだわりもない中立な状態のことです。「こうあるべき」「自分はこんな存在だ」「世界はこうに違いない」といった概念や定義、思考パターンを外した状態です。

その更地であり岐路に帰ると、色彩をどれだけ感知するのかを選び直すことが可能だと思います。

何はともあれ「目」はものすごい部位ですよね。
ご質問者様のように、このような感覚を意識していると面白い発見やひらめきが生まれやすいと思います。

ご質問頂きありがとうございました。
この喜びの百万倍の喜びが訪れますように♡少しでも参考になりましたら幸いです。

またLINEの方やメッセージフォームにご質問くださっている方々にも感謝をお伝えしたいのと、全てに回答できておらず申し訳ありません。お詫びも申し上げます。
タイミングがあいますことを祈りつつ、今後共どうぞよろしくお願い申し上げます。
ひとりごと
海外の方が思う「日本人妖精」説が好きです。
(妖精=座敷童子?みたいな)