世界は何でも映し出せるスクリーン|スーパーのレジ待ちで視えた景色【2】
この世の正体は輝く波だった|スーパーのレジ待ちで視えた景色【1】の続き的なお話します。
昨日の記事では
会いたい人の展開図と自分の展開図を
プラレールみたいに連結すれば簡単に出会えるよというお話をしましたけれども。
もっと根本の側面から言うと
連結はそもそもしているようなものなんです。
輝く波
あらゆる全てが電子的で有機的な輝く波で繋がっていて
その小さなものから大きなものまでの何もかもが、それ自体が高画質なスクリーンになっていて
意志ある者の見たいものを映し出してくれているだけ。
なのでそこに何だって映し出せる。
会いたい人も映し出せる。
まだ出会っていない人であっても。
指令
で、その映し出し方が「周波数」になる、と。
超能力も出会いも同じなんだよって話なんです。
「出来た!」とか「叶った!」とかって
突然叶うのは受け入れられない場合があるんですよね。
なので、そこに至るまでの辻褄合わせがある方が信じられる(受け止められる)から、時間がかかったり、それ相応の物語を経て達成する傾向にあるにはあるんです。
ですが、
それでも別の部屋にあるミカンをポンっと手の上に呼び出せられる。
だって全部が同じだから。
(ああ、全然上手く文章にできていませんけども。このまま勢いで書いちゃいますね。)
導入はお好みで
まぁとにかくミカンと同じです。
人も環境も物も呼び出せる。
自分がどこに居ても関係なくて、問題ない。
目の前のスクリーンに呼び出すだけだから。
全部が繋がっている大きな一つで、電子信号だから。
周波数は国語的でも数学的でも構わない。
自分がその周波数になれるなら、導入は何だって構わない。
アファメーションの文言で「私はあの人とめぐり会う!」で気分が高まるならそれで良い。
「出会っているならもう焦ったり、悲しんだりはしないはずだよね…ならば…うん、にっこりして過ごそう!」と逆算した自分を徹底して生きてみたり。
そしてとっとと手放す。
いつまでも「出会っていない自分」という地点周りでウロウロしない。
さっさと次の「今」に移る。
常に、常に、常に、その時々の今に全集中する。
これをしていれば何だって叶うんです。