堂々とした「いや、分からん!」は、分かっている人に分類される

Reico

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※ご質問は必ずしもお答えできないこと何卒ご容赦くださいませ。答えない事にマイナスな意味は全くございません。愛のみ!

Q1.
何も知らない人だと思われたくない為か職場で頑張りすぎている自覚があります。
周りの人間より経験値も低いですし分からないことが次から次と押し寄せてくるので常に緊張しています。
完璧主義なところもありますし気疲れして家路でヘトヘトです。
こんな自分とどう付き合えばいいのでしょうか。
お時間ある時にアドバイスいただけましたらとコメントさせていただきました。
いつも楽しくブログ読んでおります!明るいエネルギーで元気をいただいております。

A1.
ご質問いただきありがとうございます。
明るいエナジーまとって回答します!

私も以前は「分からないと言ってはならぬスタイル」でやってました。
フリースタイルじゃなかった。

でも
「分からない」
「知らない」
「出来ない」は、れっきとした回答で、正解なんだって気付いたんです。

鎧を捨てる

分からない自分をアリにした時の居心地の良さったらないです。

知らない自分を認めた時の清々しさったらないです。

出来ない自分を許した時の安堵感ったらないです。

もう気を張ったりしなくて良い。
武装も必要ない。
めちゃくちゃ身軽です。

どの瞬間もあるがまま。
自分のまま。

道しるべになり得る

堂々と「いやー、分からん!」って言うことは

一旦「ここからここは分からない」という事が明確になるので分かっている状態に近づきますよね。

全体像として有耶無耶ではなくなっていく。
その全体像の一部を担う「分からん」という輪郭を加えた人は、分かっている人に分類される。

例えば道を聞かれたとして
知らないのに「うーん、むにゃむにゃ」なんて態度で相手の足を止め続けたら困りますよね。

え?どっち?
知ってるの?知らないの?
全然はっきりしないなぁ…(自分まで霧の中に入ったようだ…)

堂々とした「分からんな!」は、「あぁこの人は状況分かってるね」になる。
ふにゃふにゃした「えっと…あの、その…」は「あらら、この人はなんも分かっとらんな」になる。

早めに「知らない」と表明して
相手を自分の次に出会う人の元へ送ってあげた方が良いですよね。
それでこそ自分とその人の出会いが良いものになる。

あるいは「わぁ!自分は見栄っ張りで知らないって言えないタチだけど、この人は潔く知らないって言ってくれた!なんて素晴らしいカルチャーショックなんだろう。
知らないと言われたのに、自分の心は綿毛のように軽くなった。これは素晴らしい出会いだ。」
となるかもしれない訳です。

道を知ってる知らないのやり取りが出会った目的ではなく、もっと深いやり取りの為に出会ったパターンですね。

分かったフリをしたり
知ってる素振りをして
不必要に誰かを引き付けておく事は、自分の事も誰の事も幸せにしない。

「知らない」が、相手が次にどんなアクションをすべきかを提示出来てる事だってある。
仕事を振られて「これ初めてなんです」って言われたら相手だって初めての人に対する接し方にスイッチできる。

相手のよりベストな在り方を照らせる事にもなる。

周囲を信頼するとは

時に頼ること、甘える事で
相手に(あなたは今の私に必要ですと)自信を与えたりも出来ます。

相手の存在の輪郭を照らす事になります。
「あなたは必要だからここに居る」と。

相手の輪郭を照らしている時点で自分の輪郭も明らかに出来ている。

それから他者に頼る事は精神的な支柱ですると良い流れが生まれます。

「こういう自分ですけど一緒にいてくれますか?」と素を見せる姿勢。
これがお願いです。
これが頼るって事です。

知らないとしても「今から全力で調べますね!」を隠さずにやっていくって事です。
(素の姿がバレないように隠れて一人でなんとかしようとしない感じ)

そうすると、それを見た相手が「頑張ってるな、助けたいな」と手を貸してくれる。
『自分を助けるものを宇宙は助ける』が発動する。

そういう支柱から周囲に頼っていかないと
自分の姿も明確にしないままに「自分の荷物を全部持ってくれ」をしてしまう事になりかねません。
あれして欲しい、これして欲しいという
すると苦痛を伴う表面的なやりとりしか生まれない。

でもそれは甘える事にはならず
相手の輪郭を照らしもせず
自分とも向き合っていない状態になってしまうんです。

今の自分がベスト

何より、知る必要があるという事は

知るべき時が今この瞬間、という事ですよね。

一年前に知っておきたかったー!ではなくて。

今が知る時で
今が知っていく道のりの始まり。
だから面白い。

新しい章の始まり。

それを受け入れないと苦痛が生じます。
緊張感が出てきます。
今この瞬間の自分を否定する事になります。

自己愛の欠如につながってしまうかもしれない。

その繰り返しがどのような結果を生み出すかは想像に難くないですよね。

日の当たる場所で

「分からない、知らない、出来ない」の言い方は潔い感じのイメージです。

武士が言うような「分からんのぉ。はっはっは。」みたいな。
分からないのに頼もしい感じ。

鬼滅の刃の煉獄さんやしのぶさんが炭治郎に返したセリフにこんなのがあります。

「だが知らん」
「初耳だ」
「聞いたことありません」

これらも今思えば気持ちいいほどに潔かったですし、これを言っている時の彼らは笑顔でした。

彼らは自分が担当する領域を明確にしただけ。
炭治郎に変に気を持たせたりしなかった。

炭治郎が聞きたい事は知らなかった。
けれど己がどんな存在かを知っていた。
だから炭治郎がドアを叩く場所はここじゃないと教えることができた。

そこには無駄なやり取りは存在せず。

自分というパズルの形を明らかにしたので、炭治郎の形にも光を当てることになっている。
ジグソーパズルは一つ置く場所が分かると隣の形もはっきりしてきますよね。

不誠実とは違う

これは「分からない、知らない、出来ない」カードを開き直って使うのとは違います。

本当は分かっているのに面倒だから「分からない」と言うのは自分にも相手にも不誠実ですよね。

人が出会う意味を全うできていない状態です。

(人の出会いは全てに意味があるので)

その時々の本当の姿を見せ合う事で初めて互いに必要なメッセージやエネルギーの交換ができるから。

それ以上でも、それ以下にもなり得ない。
その瞬間の自分を全うする。受け持つ。
そうした自分が「こうあるべき」「こうあっていたかった」幻影の自分と比べて違うとしても。

幻影の方じゃない「ありのままの自分がここに居る」という事は、その自分の存在が宇宙に許可されているから。
自分で許可しているからです。

幻影の「こうあるべき」自分の方じゃないって事です。

なのに本筋に逆らって幻影の自分が正解だと思おうとするから苦痛が生じる。
苦痛が生まれるのはそれには無理があるからです。
つまりストレスです。病気の原因であるストレスが発生するんです。

幻影を打ち砕く

なんでも知っている人間でなければならないというのは幻想です。

とはいえ、なんでも知っている自分は存在しています。

全宇宙として全ての点を自分と認識しているレベルの自分がいます。

けれども
今この瞬間の私たちは知っていく(思い出していく)道のりを楽しんでいる点です。
全宇宙レベルの面ではない。

点にフォーカスして人間をやっている。
その人間が経験できることを味わっている。
全身全霊で体験している。

なるほど、面じゃなくて良いって事だ。
この点の輪郭に光を当てていれば良いだけなんだ。
 
あらら?
それってめちゃくちゃ楽ちんじゃないか。
 
正直な自分でいれば良いだけなんだね。
 
わお。
それってありがたい。
人生には感謝しかないんだね。

 
はい、感謝をしていたら何が起こりますか?

感謝のエネルギーはあなたの人生を悪いようにはしませんよね。

むしろ…。

ということで
愛を込めて。

あとがき
つらつらと思うままに書いてみましたが、答えになっていたでしょうか。一欠片でもヒントになったり、少しでもお役に立てていたら幸いです。

ご質問ありがとうございました。
どうぞこの喜びの百万倍の喜びが訪れますように♡

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