道を極めた者が辿り付く場所はいつも同じ【幽体離脱】
「道を極めた者が辿り付く場所はいつも同じだ。
時代が変わろうとも
そこに至るまでの道のりが違おうとも
必ず同じ場所に行きつく。」
鬼滅の刃12巻より 縁壱の言葉
意識を拡張せよ
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『幽体離脱|そもそも「死」ってなんだろうか』でも書きましたが、「地球上のみんなと共通認識を持っているこの世界の枠」を出ると何もないスペースに立ちました(臨死体験とも呼べるのかな
現実の中で自分だけが透明人間になったかのような幽体離脱パターンとは違って。
そういう階層もすり抜けて、もっと更地に行ったんです。
まっさらなエネルギーの場に。
いざ、地球へ
何もない所から
地球に意識を向けていくと、地球上の景色が見え始める。
草木があるなとか。
ビルが建っているなとか。
社会はこんな雰囲気か、経済や技術はどのくらい発展しているのか、とか。
人々の心の様子も分かる。
こういう事で悩みがち。
こういう事で愛で繋がれる。
更にフォーカスを合わせていくと没入し始めて、
自分が更地に立っているという意識も希薄になり
気が付いたら地球世界の中に入り込んでいる。
とうとう自分が地球の住人になっている。
地球は合意の世界
地球での現実は、そこに関わる人々の最大公約数の世界観を土台にしたものだった。
あなたは観察者
こんな風に考えた事ありませんか?
自分が道を歩いている時に
急に後ろを振り返ったら何もなかったりして、みたいな。
建物も草木も、人も車も、何もかも無かったりして。
この予測不能な自分の動きに宇宙がついて行けず、景色の映像を用意するのが間に合わなかったりなんかして、と。
しかも主演(被験者
この世はあなた次第だよっていうのは、文字通りであると。
そういう風に思えば人生少しは気が楽ですよねーっていう雰囲気の話ではなくて(これも結果的に十分大事ですけど
実際は雰囲気の話に留まらず、もうゴリゴリに、そういう仕組みで出来ている。
究極的に聴こえるかもしれないけれど
自分が意識している時だけ、世界は存在している。
だから内的世界が大事
観察している時だけ、内側の世界観を表す映像が見えているだけ。
あなたの前では良い人でも
他の人の前では嫌な人になる、そんな人を見たことはありませんか?
多面的な人間のどこを観察しているかは人それぞれで
心地よくなる所に注目している人は、出会う人に優しくされる。
フォーカスを合わせた部分の反応を得ているだけなんです。
なので
目の前の現実がどうであろうと
観察者の意識さえ変われば、いかようにも映像は切り替わる。
なぜかって言うと
意識と見ているものは繋がっているから。
同期しているから。
私たちは観察者だけど、被験者でもある。
演出家でもあるし、演者(主役)でもある。
だから自分の内側を知ることが大事で
そこに変化があれば
目の前の現実は切り替わる。
もしくは、切り替える必要を感じない愛の感覚になる。
でも結局、その愛に即した現実に発展していく。
はい、めでたし!
そして更なる冒険へ!なのです。
文中の「自分が道を歩いている時に、急に後ろを振り向いたら何もなかったりして」の続き。
すでに地球の中に入り込んだ上で後ろを振り向いているので、肉体を抜けるなどインパクトのある方法以外で「何もないスペース」を道の途中で見るのはアレかもですけど、何かしらの方法はあるのかも…なんて考えるのも面白くないですか?
私は異次元の境目を見たこともありますし、その場にない景色も視ますので、色々可能性は秘めている気がしているんですよね。
「急に後ろを向いたら地球から一瞬抜けられる」という設定を完全に受け入れられる人がいたら、それは実現可能かもしれない。体験する人の世界観次第では何だってあり得そうです。
地球にいると物理的な設定を受け入れているのでアレですけど、非物理的な設定世界だったら「全て意識の産物だから、全部イリュージョンだから」と分かっている状態になるので何でも出来ちゃいますね。
ワクワク。
いつもreicoへメッセージやLINEへのコメントいただきまして、ありがとうございます!
ほっこりしてくださったり、何かを思い出してくださったり、反応していただけて感無量です。
既読がついた時点で、こちらでは破顔一笑しております。
心より愛を込めて。