「嫌い」の先に「自由」がある!シェア会@ミッションほめ・4
蓋を外す
LINE@のミッションをしてくださった方達のご報告をブログでシェア会する4回目です。
こちらは3回目の方の続きです。
耐性が薄れた、バンザーイ!なのです。
これまでは蓋をしていたのだと思います。
なので、よりしっかりと自分を感じられるようになったと。
イヤだという感覚を味わって良かったし
「イヤだ」「きらいだ」を感じた自分を愛しても問題なかった、ということです。
その上で
「きらい」は計算の途中段階で、まだ答えまで解いていない状態です。
だから不快。
ここから本番です。
メッセージ・気付きを得るステージに、いよいよ来た感じです。
ずっと「きらい」を感じているのはイヤですよね。
(答えが出ない計算式を見つめているのはモヤモヤするのと同じで。で、一旦ノートを閉じて他の事をするんだけど、ずっと宿題終わってないみたいに気になったまま…。)
でも、ちゃんと解けます。
問いと共に答えはあります。
ということで
「きらい」の感覚に気付いたら、「きらい」の向こう側まで駆け抜ける。
暗いトンネルの中を歩いている間は、この嫌な感情はずっと続くように感じられます。
でも、トンネルの先には必ず出口が(光)があります。
トンネルの中で立ち止まるのか、駆け抜けるのか。
自分は今、どこにいるのか。
「きらい」の濃度で、自分の居場所が分かります。
どこまで解いているのかが分かります。
きらっている対象を否定すると、ずっとそこにとどまります。
算数の問題に「変な問題!きらいだわぁ〜!」って文句言っても、その問題自体は何も変わらないのと同じです。
キライな対象への否定は、自分の感覚をしっかり味わって…という「感情を感じきるワーク」とは逆のベクトルが働いています。
参考記事:【アンサー】片思いかもしれないその時!進むべきか、退くべきか(長文)
否定している間は、「自分を感じる」のを避けている状態です。
「嫌」は相手の中にあるのではなく、自分の中にしかありません。
相手は、自分の中に「嫌」があることを教えてくれているメッセンジャーなだけなのです。
「何でキライなの? 何で?なんで?何で?」
と自分と向き合ってあげる。
怖がらず、感情を抑えるのではなく、感じ切ってみるんです。
(相手にぶつけるという意味ではない)
これね、なぜに途中で「なんで何でなんで」と問いかけを(計算を解くのを)無意識にやめてしまうかというと
真実の自分を受け入れられないかもしれない…と、暴くのをやめてしまう感じなのです。
でも、その感覚の先に、確実に自由が待っています!
「嫌いの門」をくぐって振り返ると、「自由の門」と書かれています。
入るときは「嫌い」だけど
抜けた側には「自由」と書かれている。
(参考記事:「恐怖」の門をくぐり振り返れば、その門には「歓喜」と書かれている)
誰のことも嫌いにならないでいられる自分は存在しています。
燦然とね。
これが本当のあなただよ、と、ずっと待っている。
とはいえ「キライ」と対峙するのはしんどいので、ガッツリ向き合って答えを出す気がまだない時は
「キライ」になることを自分の中でOKにして、放って置くのもありです。
そのまま「キライ」のない世界で色々な経験をし成長したら
自然と「キライ」が消えて無くなることも往々にしてあります。
キライだったものと再会しても、何も感じなくなっていることがあります。
これはつまり
「嫌い」とは、嫌いな人や物や事柄の中にあったのではなく
自分自身の中にあるものだからです。
相手が変われば嫌いじゃないのにな…という話ではなかったのです。
ちなみに
この記事のアンサー部分で伝えている「キライ」は、その対象について考えるとムカムカするようなものの場合を指しています。
今回のご質問は「キライ」カテゴリという前提で書いてみましたが、実は「苦手」だったという可能性もありますよね。
(大多数の「ホラー映画がキライ」は、「苦手」にカテゴライズされる感じです。)
「嫌い」と「怖い」と「苦手」と「興味なし」は、人それぞれの言葉に込める意味合いで変わりはしますが、ザックリ区分けすると、「苦手」と「興味なし」に関しては克服せず、そのまま放っておいて大丈夫です。
それが本当の感覚なら。
(少なくとも現時点では)あなたの担当ではないという合図なので。
「怖い」とか「嫌い」に関しては、そこにはあなたへの何かしらのメッセージがある(ことが多い)ので、トンネルを駆け抜けてみる価値はあると思います。
上記全てが混在している場合もありますが、感じ切っていくと、正体が見えてきます。
もはや、サラッとシェアする気がないのか…。
(これでも朝の投稿時より文章削り&リライトしています→長すぎると分かりずらいかなと)
こんな感じで暑苦しく、また次回に続きます。